働き甲斐と生き甲斐
定年まで勤めた仕事を退職しても、寿命の延びた現代では、長い余生が残される。私の親しい友人は某団体の会計のトップまで出世して定年を迎えた。その後どうしているか気になるので見ていると彼は生き甲斐を発見していた。
愛犬の世話が一日の大半となっている様子。老犬となったチワワの健康を気づかい、散歩やエサやりに注力しており、公園や近くのお店先で大事そうに愛犬を抱いた友人と会うことがあった。甲斐甲斐しく世話をやく友人を見ると、微笑ましくもあり、どこか淋しくもありました。これ程の男がワンチャンか?と。
昔、仕事に没頭しすぎて、腸閉塞になってしまい、緊急入院したことがありました。働き甲斐は100%でしたが、命を縮める程働いてはダメだと考えさせられたことから、少しずつ私の代わりをしてもらえる、助け合えるスタッフに入社して戴きました。
その入院時、検査次第では緊急手術も止むなしとのことで、しばらくの間、待合室で待たされていました。ふと一冊の週刊誌が目に止まり、パラパラと見るうちに或る一文に集中してしまいました。
その一文は、このような記述から始まっていました。記者はその日、将棋の対局を取材に会場のある街へ電車で向かっていました。
ふと電車の窓から外を見ると、北風の吹く中を一人の老人が風呂敷包みを手に提げて、車窓より少し高めの線路に並走する野中の道を歩いている。歩く足取りは覚束無く折からの強い北風にふらふらしているようでした。 その日対局の行われている街は地方の温泉地で、都市化が進んでいない場所だったので、何気なく目にした一人の老人でしたが、記者はそれが永世名人大山康晴その人であることに気がついた。引退も噂されていた当時の大山康晴名人が、意外にも並み居る難敵を下し挑戦者決定戦まで駒を進めたのでした。
ようやくにして駅に着いた記者は、対局会場まで車で向かった。会場となる温泉旅館には関係者が多数詰め掛け賑わってはいるが、さすがに大切な一番が行われているということで緊張の糸が玄関から対局会場までピンと張りめぐらされているようでした。
あの頼りない足取りの大山名人はどうしているのだろうと、会場に近づくと「オウ」「こんな手は見たことが無い」「大山はなんという人だ」との感嘆の声が湧き上がっている。
そこには、あの頼り無げに風に吹かれていた大山名人が、盤上にかぶさるようにして駒を指す、生き生きとした、鬼と化した姿が。記者は記す。
『将棋によって生きてきた大山は、今、将棋によって生かされている』と。
先の一文を読了した時、医師に呼ばれ幸い、手術の必要はないと告げられたのでした。
ところで、彼(カ)の友人のことですが、幸い彼のキャリアに合った、仕事先が見つかり今は元気に働き始めました。
ワンチャンの面倒は奥様にバトンタッチ。ワンチャン生き甲斐の時より、今の方がどうみても元気です。
人は何かの役に立てる時、ステキに見えるような気がします。